高田寺の創建は、奈良時代にさかのぼる。壬申の乱で功を得た高田首新家の菩提を弔って養老四年(七二〇)、その子首名が行基菩薩を請じて建立したといわれる。「続日本紀」巻第二十四、淳仁天皇天平寶字七年(七六三)の条は、高田寺が歴史上最初にその名が登場する文献である。その後、大同年間、伝教大師が東国巡鍚の折、天台宗となった。かつては末寺が十六ヵ寺、創建以来七堂伽藍十二坊を擁した大寺で、室町時代に最盛期を迎えたとされる。その後、寛永年間(一六二四~四四)明正天皇の病気平癒を祈り、験あって塔頭の実相坊円忠大德に薬函を賜ったという。本堂は国重文(旧国宝)。国宝の指定理由に「尾張一の美建築といってさしつかえない」といわれたほど美しい建物である。建築様式から鎌倉末期あるいは室町初期の建立と推定される。本尊の薬師如来像も、国重文(旧国宝)。養老四年(七二〇)創建当時の仏といわれる。現在は秘仏で、五十年目ごとに御開帳を行う。 |